円谷幸吉についてAbout Koukichi Tsuburaya

須賀川が生んだ栄光の銅メダリスト 円谷幸吉

円谷幸吉写真

 

円谷幸吉絵本

マラソンランナーの円谷幸吉は、昭和15年5月13日、岩瀬郡須賀川町(現在の須賀川市)に出生。高校2年の時、代走で出場した福島縦断駅伝で区間新記録をマーク、周囲からの注目を集めます。以降、本格的な陸上競技の道を歩み、昭和36年の青東駅伝では、出走した3区間すべてで新記録を樹立。延べ15人を追い抜いた記録は伝説となっています。翌年、第1期生として自衛隊体育学校入学。昭和39年のオリンピック候補選手記録会となる毎日マラソンで君原健二選手に次ぐ第2位を記録。こうして初マラソンから僅か7ヶ月で、栄光の舞台に進むことになりました。東京オリンピック最終日の男子マラソンでは、エチオピアのアベベ、イギリスのヒートリーに続き、円谷は第3位の栄冠を獲得しました。記録は自己ベストの2時間16分22秒8。そしてこれが彼にとっての生涯記録となりました。

 

円谷幸吉絵本

円谷幸吉の生涯を描いた絵本 
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円谷幸吉(つぶらや こうきち)

1940年(昭和15年)5月13日
福島県須賀川町(現須賀川市)に、父幸七、母ミツの六男、七番目の子として生まれる
1947年(昭和22年)4月
須賀川一小入学
1953年(昭和28年)4月
須賀川一中入学
1956年(昭和31年)4月
県立須賀川高校機械科入学
1959年(昭和34年)3月
陸上自衛隊入隊、八戸教育隊での訓練の後、郡山駐屯部隊第六特科連帯第三大隊本部中隊に配属
1962年(昭和37年)4月
自衛隊体育学校(埼玉県朝霞市)に入学
1964年(昭和39年)10月
東京オリンピック陸上競技10,000m6位入賞、マラソン3位銅メダル獲得
1967年(昭和42年)8月
椎間板ヘルニア、アキレス腱を手術(11月退院)
1968年(昭和43年)1月8日
自衛隊体育学校幹部宿舎の自室で、自らカミソリで右頚動脈を切り死去
享年27歳

主な競技記録

1952年(昭和27年)10月
運動会1分間競争5位(小6)
1954年(昭和29年)11月
中学校校内マラソン大会3位(中2)
1957年(昭和32年)10月
県縦断駅伝区間賞(高2)
1958年(昭和33年)5月
須賀川牡丹マラソン大会2位(高3)
1958年(昭和33年)6月
インターハイ県大会 5,000m 3位 16.46.8(インターハイ出場)
1958年(昭和33年)8月
県陸上競技選手権 1,500m 3位 4.40.9
県陸上競技選手権 5,000m 2位 16.28.0(国体出場)
1958年(昭和33年)11月
東日本縦断駅伝(青東駅伝)に出場
1959年(昭和34年)11月
東日本縦断駅伝に出場
1960年(昭和35年)8月
県総合体育大会 5,000m 優勝 15.30.6
1960年(昭和35年)10月
熊本国体 5,000m 5位 15.00.6
1960年(昭和35年)11月
東日本縦断駅伝に出場、区間賞
1961年(昭和36年)1月
大阪~東京駅伝に自衛隊代表として出場
1961年(昭和36年)6月
日本陸上選手権 5,000m 6位 14.59.6
1961年(昭和36年)8月
県総合体育大会 1,500m 優勝 4.01.2 大会新
県総合体育大会 5,000m 優勝 14.48.8 県新記録、大会新
1961年(昭和36年)10月
秋田国体 5,000m 2位 14.54.8
1961年(昭和36年)11月
東日本縦断駅伝に出場〈3区間で区間記録更新〉
1962年(昭和37年)10月
日本陸上選手権 5,000m 優勝 14.20.8 大会新
日本陸上選手権 10,000m 優勝 29.59.0 大会新
1963年(昭和38年)6月
全日本実業団陸上 10,000m 2位 29.30.0
1963年(昭和38年)8月
ニュージーランド記録会 20,000m 2位 59.51.4 世界新
ニュージーランド記録会 1時間競争 2位 20,081m 世界新
1963年(昭和38年)9月
シドニー国際大会 10,000m 優勝 29.25.2
1963年(昭和38年)10月
山口国体 5,000m 優勝 14.08.8 日本新
1963年(昭和38年)11月
オリンピック候補記録会 10,000m 3位 29.13.8 日本新
1964年(昭和39年)3月
中日名古屋マラソン 5位 2.23.31.0 ※初マラソン
1964年(昭和39年)4月
毎日マラソン(五輪代表選考) 2位 2.18.20.2
1964年(昭和39年)6月
新潟国体 5,000m 優勝 14.02.2 日本新
1964年(昭和39年)8月
北海道タイムスマラソン 2位 2.19.50.0
オリンピック候補記録会 10,000m 優勝 28.52.6 日本新
1964年(昭和39年)10月
東京オリンピック 10,000m 6位 28.59.4
東京オリンピック マラソン 3位 2.16.22.8
1964年(昭和39年)11月
東日本縦断駅伝に出場〈3区間で区間記録更新〉
1965年(昭和40年)10月
岐阜国体 10,000m 2位 29.27.0 大会新
1965年(昭和40年)11月
東日本縦断駅伝に出場〈2区間で区間賞〉
1966年(昭和41年)11月
東日本縦断駅伝に出場〈3区間で区間賞、1区間で区間記録更新〉
1967年(昭和42年)3月
円谷幸吉と走ろう青梅報知マラソン(現青梅マラソン)に参加
1967年(昭和42年)3月
読売水戸マラソン 9位 2.23.37
1967年(昭和42年)5月
全日本事業団陸上 5,000m 6位 14.36.0
全日本事業団陸上 10,000m 3位 29.59.4

円谷幸吉メモリアルホール

円谷幸吉写真

円谷幸吉選手の思い出の数々は、ご家族によって円谷幸吉記念館として長い間公開されてきました。この円谷幸吉メモリアルホールは、須賀川市が円谷家の意志を引き継ぎ、円谷幸吉選手の偉業を後世に伝えるために開設しました。 貴重な記念品、資料とともに、歴史に残る名ランナーの軌跡を紹介しています。

円谷幸吉メモリアルホールについての詳細は公益財団法人須賀川市スポーツ振興協会ホームページ をご覧ください。